ただ見上げるより この手を伸ばしてみたくなるだけ (ポコアポコ/カヒーナムジカ)
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 去年に出たGARNET CROWのアルバム「THE TWILIGHT VALLEY」,先週ようやく買いました。
 原稿を書いている時期にはCDをぶっつづけで流し続けて「音楽を消費」してしまうので,好きなアーティストのCDを初めて聞くのには勿体無いのですよね。
 しかし冬コミ直後からヴィジュアルリプレイが始まってしまったので,せっかく新作が出ているのに聞くチャンスがない(苦笑)。
 それでしばらく買わずにいたのですが…
 フラストレーションが色々と溜まってきていたので,気分転換にと,思い切って買ってみました。
 ただ今回,残念ながら「初めて聞いた瞬間に体の動きが止まり,曲が終わるまで髪の毛一本たりとも動かせなくなる」ほどに一瞬で虜になる曲はありませんでした…。
 もっとも繰り返し聞いているうちに味が出てくる歌というものもあるので(例えば私は,BUMPofCHIKENの曲を一回聴いて惚れるということはまずないのですが,聞くたびにじんわりと好きになっていき,ついに人生の支えと言えるまでになった曲があります),最終的な評価はもっと聞いてみないとできませんけどね。
 どうでもいいことですが,やっぱりGARNET CROWでも私が一番好きな歌は,他のファンにはさほど支持されておらず,私的にはそれほどでもない曲が人気あるみたいですよ(笑)。「忘れ咲き」,傑作だと思うんですけどねぇ……
 マイナーな中でのマイナー。もしくは異端の中での異端。どうも人生,全般的にこんな感じ。

 さて,冒頭の言葉は,その「THE TWILIGHT VALLEY」に収録されている「夢・花火」からです。今回,一番最初に覚えたフレーズ。

  薄化粧に ささやかな祈り込めた
  少女には はかない嘘も似合う
     (GARNET CROW/夢・花火)

 自分を信じて強気に突き進むような気分でもなく。顔の彫りに影を湛えながら,ぽつりぽつりと歩いていく今なので。こんな感じの言葉が琴線に触れるのでしょう。


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【2007/04/13 15:40】 | 拾い物
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 自分で書いた言葉って、「拾い物」のカテゴリーではないはずなんですが…冒頭の言葉はずっとここでやってきているので、とりあえずここに収めておきます。気が向いたら変えるかも。

 さて。ヴィジュアルリプレイの奥付ページには、メンバーからの一言(一ネタ)が載っているのですが…
 増刷のためにその一言一覧を眺めていて、「あ、これいいなぁ」と思った言葉を冒頭に持ってきました。
 意欲とか情熱のようなものが溢れている、エネルギッシュな言葉です。
 元気を出そうと言う気持ちをこめて。

 「鉄パイプ、石ころ、ビール瓶 = 有志団体コルセック」
 
 ちなみに…
 コピー本のコピー・製本は新刊・既刊とも全て終了していて、もう宅配便で送付済みです。
 CDのヴィジュアルリプレイの増刷と、オマケ企画はまだ完全には終了していなくて、今四苦八苦しているところです。ノーマルサイズのCD用ジャケットが大部分のお店から姿を消していて、物資調達に散々苦労したりとか…(新刊の原稿にとりかかる前に、ネットで注文しておけば良かったんですよね)
 でもまあ、なんとか明日までに目処が立ちそうですよ。
 クリスマスに冬コミの準備をするのは、毎年のことですけどね(笑)。


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【2006/12/24 01:30】 | 拾い物
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 やらねばならない事の多さと、やるための時間の少なさと、進み具合の悪さと、直近の成果物のクオリティへの不満が相乗して、酷い絶望感に呑まれかけました。
 呑まれかけて、なんとか「やばい、これは“絶望感という翼を持つもの”に刻み殺されかけている」と気がついて、自力で浮上できました。

 このブログの冒頭の言葉も、何か上向きな気分のものに変えようと思いまして、変更しました。


 希望は絶望を知る胸にこそ沸く
          ――「プライド~嘆きの旅」より

 えーと、アニソンですね(笑)。 
 「創聖のアクエリオン」というアニメの挿入歌か何かのようです。
 「作詞:岩里祐穂、作曲:菅野よう子・保刈久明」だそうです。
 (※検索にひっかかるのが嫌なので、半角まじりで表記してあります)

 なんでそんな歌を聴いていたかと言いますと。
 前回の親睦会のカラオケで、アクエリオンのオープニングテーマを歌った人がいました。(それまでそういうアニメがあると言うことも知らなかった)
 その時、「一万年と二千年前から愛してる」というフレーズが耳に残ったんですね。
 「実際にそんな長い間つきあっていたら、絶対に飽き飽きするよなぁ…」などと思いつつも(笑)、こういう非常識的なスケールって嫌いじゃないんですよね。
 それに面白いTRPGのシナリオを創るためには、「常識突破」という概念はとても大事です。(私の経験上は)
 常識に囚われている自分の精神(の一部)を解放するために、なかなか良い刺激になったフレーズでした。
 先週、次に聞くCDに困っていた時に、ふとそのことを思い出しまして。それでサントラを借りてきたと言う次第です。
 「プライド」はそのサントラの中にあった一曲です。


 しかしこのサントラ、クラシック調の曲が多いですね。
 「大序曲1812年(チャイコフスキー)」なんかを聴いているような錯覚に襲われます。
 もっともちと「仕事」くさいですが。「クラシック調の曲がこのアニメのBGMには適している」という前提がおそらくあって、それに合わせてクラシックを模した曲を作ったような感じ。
 テンプレート的な曲に感じるんですよね。新鮮さが無いと言うか。使い古された「こうすればクラシック調になる」という「定型句」をつなぎ合わせて曲を作ったような感じ。
 「こういう曲が作りたくて、クラシックを取り入れた」という訳ではないような印象を受けました。
 曲の輝きと言う点で、いまいち微妙に感じるんですよね。BGMとしての機能は果たすでしょうけれども。
 まあ多作な作曲家さんには往々にしてこういう曲があるものですけどね。

 そういう点を鑑みてみても、主題歌の「一万と二千年前から愛している」は素敵なのです。



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【2006/10/15 00:57】 | 拾い物
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 現在、酷いネガティブ思考を脱し、少しずつ回復傾向の私ですが。
 たまたま、今の心境にぴったり来る本に出会いました。読んでだいぶ元気になりました。
 それが、集英社新書の“「わからない」という方法”。
 古本屋で何気なく見つけて、なんとなく逆説的なタイトルに惹かれて手に取ったのですが…ぱらぱらと読んでみると面白かったのです。購入して、一気に読破してしまいました。

 簡単に言えば、結局人生は地を這い蹲るしかない、とそれだけを言いたい本のようです。しかしその重苦しい話をだいぶ軽妙なタッチで書いていて、案外明るくあっさり読めるのが良い点ですかね。
 というわけで、その本の中から気に入った一言を。

 人はこまめに挫折する (橋本治/「わからない」という方法)


 この言葉については解説不要でしょう。読んで字の如しです(笑)。
 結局、私もこまめに挫折しているのですね。

【2006/07/27 00:35】 | 拾い物
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 後援者集で私の担当キャラは、気がつくと1キャラ増えて3キャラになっていました。
 構想の具体化が遅れていた最後のキャラは、イメージソースの一つが銀河英雄伝説に出てくる何某でして。イメージを深めるためとイラストの参考にしてもらう絵を探すために、漫画版の銀英伝を読み返しておりました。
 今回の冒頭の言葉は、漫画版6巻(小説だと2巻)より。
 帝国で貴族達が反乱を起こす直前。ラインハルトの命を受け、猛将ビッテンフェルトが軍の文書発信機能を押さえるために、軍務尚書のオフィスを占拠した際に言ったセリフです。
 
 「失礼しましたエーレンベルク軍務尚書。私が求めておりますのは、時代が変化しているという認識を全ての人が持つことです」
  (田中芳樹・道原かつみ「銀河英雄伝説」より)

 このセリフ、このシーンは昔から結構好きだったのですが、数ある名ゼリフの中から今回、このセリフを選んだのには訳があります。
 それはいつの間にか変化を嫌う部分を持ってしまった自分自身への自戒が一つ。
 そしてもう一つ、今のTRPGの現状に対する自分の認識。その認識には実はデーター的な裏づけがあり、今そのデーターの精度を上げるための作業をやっています。
 この認識、このデーターは世間に訴える必要性を感じています。非常に重要なものだと思います。にも関らず、時々怖気づくのです(苦笑)。そんな自分を奮い立たせるために。
 我に力を!


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【2006/04/28 23:50】 | 拾い物
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 巻頭辞を変えました。気が向いたらまた戻すかも知れませんが。
 なんだかんだ言って、あの霧間誠一の言葉が一番好きな言葉なので。
 しかし、とりあえずは春が来たようですから、春らしい言葉に変更してみました。

 春来りなば冬遠からじ――春が来たと思っても、楽しい時はすぐに過ぎ去り、気づくとまた長く苦しい冬なのさ (出典忘却)

 誰の言葉だったのか良く覚えていないのです。細部も少し怪しいかも知れません。
 言うまでもなく、「冬来たりなば春遠からじ」という有名な言葉を皮肉っているのです。
 人生の大部分は苦しいことで、楽しいことなんかほんの少し。なんて事は良く言われることではあります。
 そうであるならば、その苦しいこと、つらい時、それとどうやって折り合っていくかが大事になります。人生の基準を楽しい時に置くとしんどい時にはやっていけなくなりますけど、基準をつらい時に置いて、それでもなんとか生きていける価値観というか、思考法というか、あるいは諦観というか、そういうものを身に付けることができれば、そのつらさもだいぶ楽になりますし、人生もなんとかやっていけようものです。
 そういう、実に皮肉屋的な価値観が説く人生論、それが気に入った言葉です。

【2006/03/11 02:31】 | 拾い物
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 ブログ開設当初からの冒頭の言葉は、ブギーポップに出てくる、私の最も好きな言葉です。
 字数制限にひっかかって全部載せられませんでしたが、もともとは以下のような文でした。


 しかし、その意志だけは残る。たとえそれがどんなに悪いことにしか見えなくても、何かをしようとしたこと、それに向かおうとした真剣な気持ち、そういうものは必ず他の者達の中に残る。その者たちだって結局は途中かも知れない。だがそのときは、さらにその次に伝わる。そして――誰にわかる? その中の誰かは本当に世界の中心にたどりつくかも知れない……  (上遠野浩平「夜明けのブギーポップ」より)


 ここから先、何故この言葉が私が最も好きなのか、何故ブギーポップが好きなのかという話をしたいと思いますが、ネタバレが含まれていますので注意して下さい。
 ブギーポップが好きなのは、その中で描かれている世界観が、私のそれと共通だったからでしょう。
 しかし、そのことに気がつくにはしばらく時間がかかりました。
 そもそも進化した人類「MPLS」だとか、それを駆逐しようとする、正体不明でやたらとでかくて捉えどころのない「統和機構」だとか、統和機構が作った人造人間だとか、陳腐も良いところです。
 霧間誠一のもったいぶって装飾過剰でそのくせ大したことを言っていない言葉も嫌いでした。
 最初のころは、そういった安っぽいものさえなければ良い話だと思っていたのです。

 それでも読んでいたのは、一つの事件を複数の視点から、しかも何度も何度も語ってゆく手法が、私の世界観とぴったり一致したから、というのはあります。
 そう、世界は無数の主観の集合体でできていて、客観など存在しない。
 三人称で、あるいは神の視点でばかり語られる物語ばかり溢れている世界に、「現実はそうじゃない!」と叫び出したい衝動を、もうずっと長いこと抱えながら私は生きてきたのです。
 だから、少しぐらいの陳腐さは我慢することができたのです。

 ところが、私が「陳腐なもの」として軽蔑していたもの、それが実はブギーポップのとても重要なファクターであり、その真髄ですらあったのです。
 そのことに気がついたのは「夜明けのブギーポップ」でした。
 そして霧間誠一。
 彼はこう言います。
 「“現在”の全てが“未来”の出現に対抗しているのだ」

 そう、決して「進化した人類」は空想の産物なんかじゃなかったのです。今この世界の中に、現実に存在している人々なのです。彼等は――再び霧間誠一の言葉を引用すれば、「どこか今の人間よりも、“先に行っている”」のです。
 そして、その“先に行っている”人間達に対して、世論とか評判とか常識とか、そういった正体不明でやたらとでかくて捉えどころのない他の人間たちの無意識としての集合体――統和機構――が、よってたかって攻撃をしかけ、消し去ろうとしているのです。
 だから進化した人類は世界の敵であり、そうなるより他なかったのです。

 そのことに気づいて私はハッとしました。
 かつて「全世界を敵に回しても戦い抜く」と誓い、本当の静寂を求め偽りの安寧を打ち砕くため、たった二人でクラスの全員と戦いを始めた私は、つまるところ「世界の敵」ではなかったか?
 あの時、私の叫びを黙殺しようとした連中の何と多かったことか。全ての原因を私達のせいにし、他のクラスの生徒を正しいと断定した奴らの何と多かったことか。
 常識、世論、評判、そういったものは全て私に牙を剥いて、襲い掛かって来たではないか?
 ――そう、私は世界の敵なのだ!

 そして今、私は相手と形を変えて、世界と戦い続けているのではないか?
 中学の時の戦いには勝利し、私は生き残りました。
 それから10年近くの時を経て、統和機構は再び私の前に姿を現したのです。
 ならば大いに結構。私は世界の敵だ。


 その一方で、私は本当は知っていました。
 私は私が期待できるほど強くない。
 私は武運つたなく倒れてしまうかも知れない。
 私が倒れた後、私の存在したことは全て無意味になってしまうのでしょうか?
 敗者には、戦った事実すら認められないと?

 否。
 人は人の中に爪痕を残すのです。たとえ負けたとしても、中途だったとしても、人が戦ったこと、その事実は誰かのどこかに残るのです。
 そしてその誰から誰かへと溶け出し、混ざり合い、敵であるはずの世界とすら融合して、千年の時を超えたって空の中で脈打ち続けるのです。
 それこそ、人の生きていた証。私の戦いの栄光。敗北は、死は、決して無意味ではないのです。

 そうやって私が、なにやら大きなものと戦いを始める覚悟を固めたころ、私は「夜明けのブギーポップ」を読みました。
 読んで、私は自らが世界の敵であることを悟りました。
 さらに期せずして霧間誠一はこういったのです。

 「そして――誰にわかる? その中の誰かは本当に世界の中心にたどりつくかも知れない……」

 その言葉は、私の心の中にあった信念を、まさに正確に言い当てたものだったのです。



 …自信過剰? それも結構。なぜなら私は「世界の敵」なのだから。


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【2006/01/13 01:08】 | 拾い物
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