ただ見上げるより この手を伸ばしてみたくなるだけ (ポコアポコ/カヒーナムジカ)
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 ARIANRHODのワールドガイドが好評なようで。
 けど、ネットの批評や口コミを信じて買ったものが大外れだった経験を何度となくしている私としましては、実物を見るまで信用はできない訳でして。
 ま、内容が良かろうと悪かろうと、それを読む必要性が私にはあるので、どうせ買うことは決まっているのです。評判なんて聞くだけ無駄ですね(苦笑)。

 今回ARIANに手を出したのは、次のヴィジュアルリプレイ用のシステムに悩んでいたところ、「ARIANがやりたい」という声が上がったからでして。
 自分が気にいるシステムを発見できておらず、自分の足では次の一歩が踏み出せない状態だったので、「たまには他人のやりたい事に合わせて見ても良いかな」と思ったのがきっかけでした。
 
 ARIANのざっとしたイメージの説明を受けたところ、すぐにヴィジュアルリプレイ用のシナリオのアイディアが出始めました(これにはびっくりしました)。
 しかしそれは必ずしもARIANの世界観に触発された訳ではなくて、新しい刺激に対する反応だったみたいです。
 ですので、ルールブックを開いてすぐに読み始めたのは背景世界の説明でした。
 「今、思いついたシナリオは、この世界では成立するのかな?」
 それがARIANを巡る私の最初の問題点でした。

 しかし、その疑問は未だに分からないままです(苦笑)。
 どうやら、シナリオとリプレイは読まなきゃならないようですね。
 もちろんワールドガイドも読みますけど。


 でもこの類の悩みは、共有できる人は近くにはいなかったりするんですよね!(苦笑)
 あるいはTの宮先輩か五代目Dならわかってくれるかも知れませんが、最近連絡取ってないですしねぇ…(自業自得)。
 GMやる友人は沢山いますが、このシステムとシナリオの間に私が感じるミスマッチ感に共感してくれる人が少ないのです。

 「どうもシナリオとシステムが合わないなぁ。このシナリオに合うシステムが欲しいなぁ」と思うことは何度となくあります。
 「あ、シナリオとシステムがぴったり合った」と思った時もあるにはあったのですが、そのうち錯覚だったことに気がついてしまったり(苦笑)。
 なんというか、システムって硬くって曲がらなくて乱暴なものなんですよね。
 もちろん、そうすべきならば金属プレス機でガラス細工を作る事もGMには必要なのですが。
 …ときに道がわからなくなって途方に暮れてしまうことも、あるのですよ。


 (※本当はルールブックの雑感でも書こうかと思っていたのですが、それは後日にしましょう。…年単位で後かも・苦笑)


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【2006/01/26 00:34】 | トークRPG
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 歴史小説なんかは好きで、最近は軍記物も良く読むようになったのですが。
 その中に「将たるものアクの強い人間を使いこなしてこそ」といったニュアンスの文章がよく出てきます。
 それはそれでまったき正論なのですが。
 ではどうやってアクの強い人間を使いこなすのかと言うと、基本はどうも褒めたりおだてたりすることであるそうで。
 不快なことがあっても黙っていて、おだてて働かせ、上手く行った事は褒めて。

 要するにそれは本音の付き合いではないわけです。
 将と部下というのは、別に本音で付き合う必要はないと。どうもそういう事であるようです。
 
 
 …なるほど、将ってのは孤独になるわなぁ。
 将としての道を完璧にこなせばこなすほど、将その人自身は孤独に陥っていく。
 漢の高祖は漢の成立後、疑心暗鬼にかられて部下を謀殺して行くわけですが、それも当然の事なのではないかと。
 決して「玉座を安泰に」ということだけではないと思うのです。だって本音の付き合いをしていた訳ではないのですから。

 もちろん、営業の人はその「本音隠し」を地で行くわけですが、会社の同僚の間では本音を出しているのでしょう? 戦闘中でなければ本音を出せるわけです。(配偶者や子供の前では本音は言えないかも知れませんけど)
 将の辛さは、戦わない時にだって本音を隠さなくてはならないところにあるのです。

 結局、本音を言える相手を持てるかどうかが正気と狂気の分かれ目なのでしょうかね。漢の高祖は奥さんいかれてたし、張子房はさっさといなくなるし、本音を言う相手はいなかったんじゃないでしょうか。

 でもそう思っている限り、私は銀英伝のオーベルシュタインにはなれないんですねぇ…。
 パーフェクト・グレイ・マン。成れるものなら成ってみたいものです。


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【2006/01/21 00:37】 | 哀心よりお悔やみ申し上げます
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 で、下の記事の続きなのですが…
 TRPG系のブログでは最近、「メタゲーム」と「ストーリー生成」が随分と流行っているみたいで。
 それも、FEARの手法についての議論ですね。

 しかし、私はFEARゲームが分からないのです!
 いや、食わず嫌いじゃないですよ。
 トーキョーN◎VAこそやったことないものの、ブレカナは初版から遊んでいましたし、セブン=フォートレス、ダブルクロスあたりも遊んだことあります。今度はサークルでアリアンロッドを始めることになりました。
 それでいて、なお。
 いや、遊べば遊ぶほど。
 FEARゲームが分からない。
 
 何故分からないのか?
 まだ原因は探っている途中ですが、一つには「メタ視点」あれがダメなのかも知れません。

 私のメタ視点に対する心情を一言で表せば、
 「お前ら、なんでそんなに冷静なんだよ!」
 に尽きます。

 「話はこの先、こういう展開をするから、ならばここでこういう行動を取っておいて…」という、そのストーリーの先読み。
 いや、先読み自体は大した問題ではありません。そのくらい誰だってします。
 しかし、一歩引いた立場からセッションを眺めているのが「耐えられない」。
 私が目指している理想のセッションは、そんな生易しいものじゃありません。
 冷静さも余裕もかなぐり捨てて、プレイヤーの感情が剥き出しになる、期せずしてそうなってしまう、そういうセッションがやりたい。
 もっと人間の素の姿を情け容赦なく曝け出させる、そういうセッションがやりたい。

 …もちろん、現実にそういう事ができているのか、といえば全然ノーです。
 足りないことがある、と言うより、足りない事しかありません。

 今のところ、ゲーム性重視ゲーマー的な立場にいる(ように他人から見られている)のは、ゲームバランスというのは、分かれば簡単にプレイヤーを追い詰めることができるからです。
 プレイヤーを追い詰める。その瞬間に見せるプレイヤーの表情が好き。それを見るためにGMやっているようなものです。
 それをストーリー的な要素でもできるように…という方向性を最近模索し出して、まだリプレイになっていないHTT第4部では、いくらか成功した回もありました。(ほうほうの体だった回もありましたが・苦笑)

 もっとも、メタ視点でゲームをしていても、そういう展開に持っていく方法があるのかも知れません。
 しかし、私はGMをやっているとき、どうしてもプレイヤーのメタ視点の発言に「背筋が寒くなる」のです。
 「しまった、何か失敗したか!?」
 どうしてもそう思ってしまいます。

 だから、メタ視点を利用しているFEARゲームは、遊んでいてどうも違和感を拭えませんし、ブログなどでメタ視点のメリットなどを読めば読むほど、違和感ばかりが増えて行くのです。
 私のメタ視点に対する理解が変なのか、それともメタ視点と私は根本的に相容れないのか?
 もちろん、100%メタ視点を振り切ったセッションなど存在しえないという点は差っぴいて考えるとして、ですよ。


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【2006/01/15 18:08】 | トークRPG
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 色々と思うところがあって、作業の合間を縫ってTRPG.NETのRSSリーダーなんかを読んでいたんですが…コラムはやっぱりブログで書くべきかも。
 そちらの方が宣伝効果が大きい。そうなるようなネットワークができています。
 しかし、このブログは愚痴の捌け口なので、基本的にそうするべきではないわけで。
 TRPGの話題用に別のブログを立てるかどうか。
 …コルセックのサイトがRSS配信すれば良い、といえばその通りですが、手動での配信は色々と面倒なだけで続かないことは分かりきっているので。
 「なんでもRSS」を使ったらフィードエラーが出てちゃんと受信できないらしいし(苦笑)。

【2006/01/15 17:43】 | 哀心よりお悔やみ申し上げます
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余裕があるなら別ブログがいいと思う
風早瑞樹
 ネットワークと宣伝効果を重視するなら、コラム用の別ブログを立てるのがいいと思うな。
 ただ、コルセックのサイトにも(遅れてでいいから)同じ内容の文章は載せた方がいい。
 動的HTMLとしてのblogは、速報性があって、ネットワークしやすい反面、ディレクトリ構造にわかりやすくまとめるのには不向きだから。
 静的HTMLのサイトでコラムを体系的にまとめておけば、blogで獲得した読者も既存のコンテンツ(同人誌の紹介、体験版ソフト等)に興味を示すだろうし。
 逆に従来のコルセックのファンがblog側のネットワークに参加して活性化するという相乗効果も期待できる。
 ただ、そのblogは公的性格を持って、サイトに従属する形になるだろうね。
 FC2はアダルトブログが多いから(苦笑)、そういうのは避けて、共有スレッドに「TRPG」があるblogサービスでやるのがいいんじゃないかな?


色々とサンクス
丹川幸樹
 携帯に関することも含め、色々と助言サンクス。
 携帯に関しては、FLASHならいけるかも知れないのですが、JAVAの方は現在、対応している携帯機種がほとんど流通していないとのこと(古い機種のみ)。
 ブログの方は、とりあえず今はまだ世界の端っこに座っていることにした。
 真ん中に出て行きたくなったら、風早氏の言うようにしようと思う。

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 ※モノはこちらです。
  有志団体コルセック i-mode用ページ

 一番最初のきっかけは、私が余りに忙しいことだったんですよ。
 ハイパーT&Tのシナリオ作りを通勤途中の電車の中、メモ帳片手にやっていた訳です。
 しかし、パソコンがないとHT&Tは期待値計算ができません。(ハイパー)バーサークの期待値計算を暗算でできる人に、私は未だ会った事がありません。
 ノートパソコンは持ってませんし、電車の中であれを広げるには座らないといけません。行きも帰りもそんなに電車は空いてないです(苦笑)。
 そして、期待値計算ができないと、戦闘のバランスが取れません(少なくとも私は)。
 戦闘のバランスが取れないと、セッションはつまらないのです(もしくはバランスが取れてないよりは、取れている方が良いでしょ?)。

 で、私は考えました。
 金はありません。PADは買えません。ノーパソも使えない。
 しかし、我々はすでにポケットコンピューターを手にしているじゃありませんか。
 そう、携帯電話。
 携帯で期待値計算のできるソフトを作ろう!

 その話に反応した男がいました。コルセックのメンバー、ヒロポンⅡ。彼は私があまり意識していなかった事を言い出します。
 「いいっすね。携帯で期待値計算できれば、戦闘オプションや魔法をどう使うのか、戦術を立てやすくなるっす」

 なんと、携帯で期待値が計算できれば、TRPGの戦術性・ゲーム性を向上させることができるのです!
 よし、これはぜひとも作らねば!
 幸いコルセックには謎の物体K先輩という電脳に強いメンバーがいました。
 「かくかくしかじかで、前にパソコン用に作ったハイパーバーサーク期待値計算ソフトを、携帯で動くように改造して欲しいんですが」
 かくして、携帯電話で動くHTT期待値計算ソフトの開発が始まりました。

 …がしかし! 我々が住んでいるのは秘密主義王国日本。
 なんと、au携帯用のアプリの開発は、アマチュアにはできないような仕組みになっていたらしいのだ!(がーーーん)
 auに対応したアプリを作るためには、起業するしか方法がない!

 それを知ってか知らずかジョン湿地王先生、
 「で、コルセックはいつ起業するんですか?」
 「勘弁して下さい」

 …というわけで、泣く泣くi-mode版のみの作成となってしまいました。よよよよよよ。
 もしかしたらウィルコムなんかでも動くかも知れません。確認して下さる人がいると嬉しいです。

 とにかく、i-modeでは動きます!
 ぜひ、ご自分の目で見て下さい。
 これからは、TRPGの期待値計算は携帯電話で行う時代です!

  有志団体コルセック i-mode用ページ

 ※このソフトのauなど他の会社の携帯電話に対応したバージョンを開発して頂ける方を募集中です。報酬などはお支払いできませんが…(ダメだろうなぁ…)。


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【2006/01/15 01:12】 | トークRPG
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 ブログ開設当初からの冒頭の言葉は、ブギーポップに出てくる、私の最も好きな言葉です。
 字数制限にひっかかって全部載せられませんでしたが、もともとは以下のような文でした。


 しかし、その意志だけは残る。たとえそれがどんなに悪いことにしか見えなくても、何かをしようとしたこと、それに向かおうとした真剣な気持ち、そういうものは必ず他の者達の中に残る。その者たちだって結局は途中かも知れない。だがそのときは、さらにその次に伝わる。そして――誰にわかる? その中の誰かは本当に世界の中心にたどりつくかも知れない……  (上遠野浩平「夜明けのブギーポップ」より)


 ここから先、何故この言葉が私が最も好きなのか、何故ブギーポップが好きなのかという話をしたいと思いますが、ネタバレが含まれていますので注意して下さい。
 ブギーポップが好きなのは、その中で描かれている世界観が、私のそれと共通だったからでしょう。
 しかし、そのことに気がつくにはしばらく時間がかかりました。
 そもそも進化した人類「MPLS」だとか、それを駆逐しようとする、正体不明でやたらとでかくて捉えどころのない「統和機構」だとか、統和機構が作った人造人間だとか、陳腐も良いところです。
 霧間誠一のもったいぶって装飾過剰でそのくせ大したことを言っていない言葉も嫌いでした。
 最初のころは、そういった安っぽいものさえなければ良い話だと思っていたのです。

 それでも読んでいたのは、一つの事件を複数の視点から、しかも何度も何度も語ってゆく手法が、私の世界観とぴったり一致したから、というのはあります。
 そう、世界は無数の主観の集合体でできていて、客観など存在しない。
 三人称で、あるいは神の視点でばかり語られる物語ばかり溢れている世界に、「現実はそうじゃない!」と叫び出したい衝動を、もうずっと長いこと抱えながら私は生きてきたのです。
 だから、少しぐらいの陳腐さは我慢することができたのです。

 ところが、私が「陳腐なもの」として軽蔑していたもの、それが実はブギーポップのとても重要なファクターであり、その真髄ですらあったのです。
 そのことに気がついたのは「夜明けのブギーポップ」でした。
 そして霧間誠一。
 彼はこう言います。
 「“現在”の全てが“未来”の出現に対抗しているのだ」

 そう、決して「進化した人類」は空想の産物なんかじゃなかったのです。今この世界の中に、現実に存在している人々なのです。彼等は――再び霧間誠一の言葉を引用すれば、「どこか今の人間よりも、“先に行っている”」のです。
 そして、その“先に行っている”人間達に対して、世論とか評判とか常識とか、そういった正体不明でやたらとでかくて捉えどころのない他の人間たちの無意識としての集合体――統和機構――が、よってたかって攻撃をしかけ、消し去ろうとしているのです。
 だから進化した人類は世界の敵であり、そうなるより他なかったのです。

 そのことに気づいて私はハッとしました。
 かつて「全世界を敵に回しても戦い抜く」と誓い、本当の静寂を求め偽りの安寧を打ち砕くため、たった二人でクラスの全員と戦いを始めた私は、つまるところ「世界の敵」ではなかったか?
 あの時、私の叫びを黙殺しようとした連中の何と多かったことか。全ての原因を私達のせいにし、他のクラスの生徒を正しいと断定した奴らの何と多かったことか。
 常識、世論、評判、そういったものは全て私に牙を剥いて、襲い掛かって来たではないか?
 ――そう、私は世界の敵なのだ!

 そして今、私は相手と形を変えて、世界と戦い続けているのではないか?
 中学の時の戦いには勝利し、私は生き残りました。
 それから10年近くの時を経て、統和機構は再び私の前に姿を現したのです。
 ならば大いに結構。私は世界の敵だ。


 その一方で、私は本当は知っていました。
 私は私が期待できるほど強くない。
 私は武運つたなく倒れてしまうかも知れない。
 私が倒れた後、私の存在したことは全て無意味になってしまうのでしょうか?
 敗者には、戦った事実すら認められないと?

 否。
 人は人の中に爪痕を残すのです。たとえ負けたとしても、中途だったとしても、人が戦ったこと、その事実は誰かのどこかに残るのです。
 そしてその誰から誰かへと溶け出し、混ざり合い、敵であるはずの世界とすら融合して、千年の時を超えたって空の中で脈打ち続けるのです。
 それこそ、人の生きていた証。私の戦いの栄光。敗北は、死は、決して無意味ではないのです。

 そうやって私が、なにやら大きなものと戦いを始める覚悟を固めたころ、私は「夜明けのブギーポップ」を読みました。
 読んで、私は自らが世界の敵であることを悟りました。
 さらに期せずして霧間誠一はこういったのです。

 「そして――誰にわかる? その中の誰かは本当に世界の中心にたどりつくかも知れない……」

 その言葉は、私の心の中にあった信念を、まさに正確に言い当てたものだったのです。



 …自信過剰? それも結構。なぜなら私は「世界の敵」なのだから。


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【2006/01/13 01:08】 | 拾い物
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