ただ見上げるより この手を伸ばしてみたくなるだけ (ポコアポコ/カヒーナムジカ)
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 久々に小説を読んでいます。
 …いや、この表現は事実ではないですね。一昨日まで某文庫の歴史小説「尼子経久」を読んでいたはずだし(これは酷い出来でした)、その前も何か読んでいた気がします。
 しかし何故だか、恩田陸の「夜のピクニック」を読み始めた途端、「ああ、久しぶりに小説読むなぁ」という気分になったのです。

 多分それは、視点だとか語り口だとか、あるいは「小説っぽさ」のような雰囲気のせいなのでしょう。
 そういった「小説っぽい」何かを最近しばらく読んでいなかった。歴史小説は小説とつきながらも他のジャンルの小説のような雰囲気とは違いますし、マンガやアニメやドラマや映画なんかも、原作がいくら小説でも、「小説っぽい」訳ではないのですよね。
 でもそれより何より「小説」を感じたのは、そこにTRPGでは再現できないものが確固として存在していたからなのかも知れません。
 多分私は、「これTRPGでできるよな」と思うと、それを「小説」とは認識せずに「TRPG」もくしは「TRPGの参考資料」と受け取るのではないと思います。
 「夜のピクニック」には、TRPGで出来ない何かがある。
 もっとも、そうだと期待して私はこの本を手に取ったのですが。

 夜のピクニックは映画かドラマかになっているはずで、いつも降りる駅の、改札の前のエスカレーターを降りたところに、そのポスターが貼ってありました。
 「ノスタルジィ小説」だかなんだかというキャッチコピーが書いてあったのを覚えています。
 ノスタルジィ。
 TRPGで実現できないものの一つ。

 …と書くと「とっくの昔に出来ているよ」とか言い出して、どっかのリプレイを引っ張り出してくる人がいるかも知れません。
 しかし「ええそうなんだ?」と驚いて、リプレイを読んでみてがっかり。
 そこにあるのは「ノスタルジックな物語でよくあるシーン」であって、プレイヤーは大してノスタルジックなムードになっていない。形だけの再現。心が無い。というか、それが表面的なことを理解しながら、心がある振りをする。
 テーブルトーカーは、それを「できている」と言う。
 違うだろうと私は思うのですが、この私の感覚は異端派であって、「まあ形はできているんだから、せめてそれに浸った振りをするのが、良いプレイヤーって奴だよ」という理屈が主流派なのでしょう。
 私はそんな形だけのノスタルジィに無理して浸ろうとするぐらいならば、GARNET CROWの「忘れ咲き」でも聴いていた方が百倍マシなんですけれどもね。
 あなたが違うと言うなら、それはそれでいいでしょう。その代わり、私も納得しません。
 手を伸ばさずとも手に入るものと、どうしても比較してしまう。だから私はセッション中に醒めてしまうのですね。

 そして私は自分を醒めさせない何かを求める。
 だから「TRPGでノスタルジックな雰囲気になれたら、素敵だな」と思うのですよね。
 グランドキャンペーンでそれを実現するのは、理論上は難しくありません。何年もかけて遊んでいますから。ごく自然にノスタルジックなムードは発生し得ます(ヒロポンⅡあたりは何度も浸っていたようですし)。
 しかしそれは現実のノスタルジィと一緒。
 システム的・シナリオ的な何かではなくて、現実的なノスタルジィなのです。
 小説は違います。構造的・シナリオ的にノスタルジィを発生させ得るのです。
 それをどうやればTRPGで再現できるのでしょ?


 以前、StudioMilkさんに「TRPGってストーリーを遊ぶゲームって言う話だけど、なんか違うんだよねー」「だからあんまりTRPGを遊びたいと思わない」と言われた時。
 「もしTRPGで『おもひでぽろぽろ』が遊べれば、遊んでみたいと思うでしょ?」と聞き返したら、しきりに頷いてくれました。
 ノスタルジィ。それを再現する方法が見つかれば、彼女をTRPGに誘えるのですけれどもね。


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 多分私は、「これTRPGでできるよな」と思うと、それを「小説」とは認識せずに「TRPG」もくしは「TRPGの参考資料」と受け取るのではないと思います。
 「夜のピクニック」には、TRPGで出来ない何かがある。
 もっとも、そうだと期待して私はこの本を手に取ったのですが。

 夜のピクニックは映画かドラマかになっているはずで、いつも降りる駅の、改札の前のエスカレーターを降りたところに、そのポスターが貼ってありました。
 「ノスタルジィ小説」だかなんだかというキャッチコピーが書いてあったのを覚えています。
 ノスタルジィ。
 TRPGで実現できないものの一つ。

 …と書くと「とっくの昔に出来ているよ」とか言い出して、どっかのリプレイを引っ張り出してくる人がいるかも知れません。
 しかし「ええそうなんだ?」と驚いて、リプレイを読んでみてがっかり。
 そこにあるのは「ノスタルジックな物語でよくあるシーン」であって、プレイヤーは大してノスタルジックなムードになっていない。形だけの再現。心が無い。というか、それが表面的なことを理解しながら、心がある振りをする。
 テーブルトーカーは、それを「できている」と言う。
 違うだろうと私は思うのですが、この私の感覚は異端派であって、「まあ形はできているんだから、せめてそれに浸った振りをするのが、良いプレイヤーって奴だよ」という理屈が主流派なのでしょう。
 私はそんな形だけのノスタルジィに無理して浸ろうとするぐらいならば、GARNET CROWの「忘れ咲き」でも聴いていた方が百倍マシなんですけれどもね。
 あなたが違うと言うなら、それはそれでいいでしょう。その代わり、私も納得しません。
 手を伸ばさずとも手に入るものと、どうしても比較してしまう。だから私はセッション中に醒めてしまうのですね。

 そして私は自分を醒めさせない何かを求める。
 だから「TRPGでノスタルジックな雰囲気になれたら、素敵だな」と思うのですよね。
 グランドキャンペーンでそれを実現するのは、理論上は難しくありません。何年もかけて遊んでいますから。ごく自然にノスタルジックなムードは発生し得ます(ヒロポンⅡあたりは何度も浸っていたようですし)。
 しかしそれは現実のノスタルジィと一緒。
 システム的・シナリオ的な何かではなくて、現実的なノスタルジィなのです。
 小説は違います。構造的・シナリオ的にノスタルジィを発生させ得るのです。
 それをどうやればTRPGで再現できるのでしょ?


 以前、StudioMilkさんに「TRPGってストーリーを遊ぶゲームって言う話だけど、なんか違うんだよねー」「だからあんまりTRPGを遊びたいと思わない」と言われた時。
 「もしTRPGで『おもひでぽろぽろ』が遊べれば、遊んでみたいと思うでしょ?」と聞き返したら、しきりに頷いてくれました。
 ノスタルジィ。それを再現する方法が見つかれば、彼女をTRPGに誘えるのですけれどもね。

【2007/04/20 21:12】 | トークRPG実験箱
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