ただ見上げるより この手を伸ばしてみたくなるだけ (ポコアポコ/カヒーナムジカ)
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

 皆さんご存知の通り(?)、MSNにコミケの記事が載った訳です。
 同人屋の皆様はあまり騒いでいない? のでしょうかね。

 一応コミケは40万人の来場者を集める訳で、それが一つの社会現象であることは疑う余地はありません。
 それに取材が来るというのは、ある意味で正当な事だと言えるでしょう。
 今までTBSを除いた主要メディアには無視され続けてきたコミケですから、ある意味でこういう取材が来るのはコミケや同人誌の地位向上のためには不可欠な事だと言えるかも知れません。
 (もっとも、記事提供は毎日新聞ですから、実は状況はあんまり変わっていないのかも知れません)

 しかし、私の周りの人々の意見はきっと「余計なことするんじゃねぇ!」でしょうねぇ。

 と言うのも、世間から無視されてきたからこそ、憚りなく好きな事をやってこれた訳で。ヲタに関する報道、BLに関する報道などがあるたびに「そっとしておいて」という意見を良く聞きます。
 自分を理解してもらうために苦労するよりも、理解されないまま無視されている方が楽だ…というのも、正論ではあります。

 FEARの先生方はあまりに安易に「相互理解」という言葉を使いますが、現実においてそれがどれだけ大変なことか。
 水野良のCDドラマ版クリスタニアを私が大好きな理由の一つが、育った世界が異なるレードンとリオの二人が、お互いを理解しあう、たったそれだけのために大変な労力を払うところです。
 「分かり合えた時が、別れの時なのか」ラストのレードンの言葉の悲痛さが、年を取れば取るほど胸に突き刺さります。
 
 かつて武道系部活で主将をしていた時、真面目に練習しない部員二人と、かなり徹底的に話し合いました。
 7時半に練習が終わって、夜の10時ぐらいまで話すことはザラでした。時にお互い泣きながら話した時もありました。1週~2週に一度はそんなことをしていました。
 …しかしその結論として、その二人とは仲良くできないと言うことが分かったのです。
 ただ、「嫌いな相手を無闇に攻撃しない」「嫌いな相手とも、なんとかやって行く方法」という事を学ぶことはできました。
 とても大切な事を学んだとは思いますが、しかしそれは相互理解なのでしょうか?


 その一方、かつてヲタと呼ばれ、「自称一般人」から強烈に迫害を受けた経験の持ち主としては、自らの正当性、自らの社会認知は悲願であるという面があります。
 つまり、ここが他のヲタ(もどき)達と私の間にある決定的な溝。
 攻撃を受けなかった人としては、そっと隠れて目立たないようにしている事に問題はないのです。
 でも私はじっとしていても攻撃されてしまった。隠れていても身は守れなかったのです。ならば反撃しかない。

 ですから、コミケが注目を浴びること、世間がそういう世界もあると言うことを知ってくれることは、私としては基本的に歓迎すべき事なはずです。
 しかし、私がMSNでコミケのニュースを見た時に、盛大にため息をついてしまったのは。

 この先にある一般人に「理解されるための戦い」が、遠く、果てなく、泥沼のようなものであることを、実感として知ってしまっていた、からなのでしょう。


追記を閉じる▲
 と言うのも、世間から無視されてきたからこそ、憚りなく好きな事をやってこれた訳で。ヲタに関する報道、BLに関する報道などがあるたびに「そっとしておいて」という意見を良く聞きます。
 自分を理解してもらうために苦労するよりも、理解されないまま無視されている方が楽だ…というのも、正論ではあります。

 FEARの先生方はあまりに安易に「相互理解」という言葉を使いますが、現実においてそれがどれだけ大変なことか。
 水野良のCDドラマ版クリスタニアを私が大好きな理由の一つが、育った世界が異なるレードンとリオの二人が、お互いを理解しあう、たったそれだけのために大変な労力を払うところです。
 「分かり合えた時が、別れの時なのか」ラストのレードンの言葉の悲痛さが、年を取れば取るほど胸に突き刺さります。
 
 かつて武道系部活で主将をしていた時、真面目に練習しない部員二人と、かなり徹底的に話し合いました。
 7時半に練習が終わって、夜の10時ぐらいまで話すことはザラでした。時にお互い泣きながら話した時もありました。1週~2週に一度はそんなことをしていました。
 …しかしその結論として、その二人とは仲良くできないと言うことが分かったのです。
 ただ、「嫌いな相手を無闇に攻撃しない」「嫌いな相手とも、なんとかやって行く方法」という事を学ぶことはできました。
 とても大切な事を学んだとは思いますが、しかしそれは相互理解なのでしょうか?


 その一方、かつてヲタと呼ばれ、「自称一般人」から強烈に迫害を受けた経験の持ち主としては、自らの正当性、自らの社会認知は悲願であるという面があります。
 つまり、ここが他のヲタ(もどき)達と私の間にある決定的な溝。
 攻撃を受けなかった人としては、そっと隠れて目立たないようにしている事に問題はないのです。
 でも私はじっとしていても攻撃されてしまった。隠れていても身は守れなかったのです。ならば反撃しかない。

 ですから、コミケが注目を浴びること、世間がそういう世界もあると言うことを知ってくれることは、私としては基本的に歓迎すべき事なはずです。
 しかし、私がMSNでコミケのニュースを見た時に、盛大にため息をついてしまったのは。

 この先にある一般人に「理解されるための戦い」が、遠く、果てなく、泥沼のようなものであることを、実感として知ってしまっていた、からなのでしょう。

【2005/12/31 02:03】 | 哀心よりお悔やみ申し上げます
トラックバック(0) |
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿
URL:

Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。