ただ見上げるより この手を伸ばしてみたくなるだけ (ポコアポコ/カヒーナムジカ)
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 ハンドアウトが何年も前に通り越した所を(一度は私も素通りした所を)、再度掘り起こしながら別の場所を目指しているのです。(微妙に前回の続き)

 PCが主人公なのだと仮定しましょう。
 いや、常識的に考えてPCは主人公なはずですが、PCが本当に主人公なのかどうかという議論もかなり長くできてしまうので、とりあえず今そこはパスしましょう。
 とにかくPCが主人公です。
 ということはつまり、PCが「○○へ行きたい」と思うことでシナリオができるはずなのです。(前回参照)
 温泉に行きたいなら温泉に行くシナリオが、仇討ちに行きたいなら仇討ちに行くシナリオが。
 その部分を、「君は温泉へ行きたいと思った」とやるのがハンドアウト(でしょ?)。
 「君の仇であるヘルゲンが、ケルファーレンの街に出没しているという噂が流れている」とやるのが普通のGM(多分)。
 でも駄目GMの私はこういうセッションにしたい。
 「GM、俺は仇の灰色公の館に襲撃をかけたい。まずは町人として町に溶け込む。火事が起きたら便乗して火の見櫓に登り、屋敷の見取り図を描くつもりだ。最後は足音が立たない、雪の積もった夜に襲撃をかけたい」
 とプレイヤーが言い出すセッション。
 
 違いが分かり難いかも知れません。
 しかし、TRPG的にシナリオを作るのならば、通常はこうであるべきなのです。
 「アルベルト、今回は君の仇を討つ話だ。前のセッションから数ヶ月、君は町人として町に溶け込むことに成功している。その間、灰色公の屋敷に出入りする商人やメイドと親しくなったり、火事に便乗して火の見櫓に登ったりして、灰色公の屋敷の概要も掴んだ。今晩は昨晩に引き続き、しんしんと雪が降り積もる夜だ。積もった雪は足音を消してくれるだろう。襲撃には絶好のチャンスだ」
 こういう導入で、屋敷への討ち入りのシナリオを遊ぶ。
 このシナリオならば、TRPG的に難しいところがなく解決できます。多分。(まあ、少なくとも私は困らない)

 しかし、私が望んでいるのは「討ち入りをする」というその根本的方向性の部分から、プレイヤーの提案に拠るシナリオなのです。
 「襲撃をかけるシナリオだよ」とGMから言うのではなく。
 「襲撃をかけるシナリオをやらせてくれ」とプレイヤーから頼む。
 そして「俺はこういう順番でそれを解決したい」と青写真をプレイヤーが提示する。それを踏まえてGMはシナリオを作る。
 焦点は「言いだしっぺが誰なのか」ということ。それはつまり、「誰が主体なのか?」と言うことです。
 GMという他人の計画に乗るのではなく、プレイヤー自身が主体となって計画を立てる。
 シナリオを作るのはプレイヤーなのですよ。

 主体の違いを「無視しても構わない違い」と認識するのが、多くのテーブルトーカーです。…と勝手に思っています。(違いました?)
 けれども、私は気になるのです。「天と地ほど違うじゃないか」と思ってしまう。
 自分でも実はうんざりしているのですが、この「違うじゃないか」と思うのが、私の最大の欠点なのです。同時に私のシナリオのオリジナリティとアイデンティティの源泉でもあります。道理でみんなギルマンになってしまう訳です(関係ない)。

 歴史小説や軍記物を読んでいると(別に普通の小説でも良いのですけれども)、「主人公の意志」が輝く瞬間があります。
 遊郭通いの腑抜けた態で人の目を欺きつつ、最後には粛々と仇討ちを果たした大石内蔵助?
 足利の世が続くのだと皆が信じていた時代に、将軍を追放して自らの天下を作り上げた織田信長?
 越の国の再興を目指し権謀術数をめぐらし、伝説の美女・西施を育て上げて敵の王宮に送り込むまでした范蠡?
 自らの意志、自らの構想、自らの夢。そしてその実践。
 構想の大胆さ、計画の奥深さ、危険に飛び込む勇敢さ。それにとても惹かれてしまう私がいます。
 誰か他の人が決めたのではない。主人公が自ら考え、知恵は借りたにしろ、部下を統率し、最後に決断を下し。その一つ一つで放たれる意志の輝き。
 それがカッコよくてカッコよくて、だから歴史小説を読むのかも知れません。

 でもTRPGをしていると、どうも歴史小説で見るような「カッコよさ」になかなかめぐり合えません。
 どうしてもPCはGMに受身になってしまう。
 カッコよいセリフを吐くプレイヤーは結構いますが、でも根本的には受身じゃないですか?
 そもそもNPCから依頼されてシナリオを始めたらもう負けなんですよ! 自分で古地図見つけるんだ! 自らの意志で潜るダンジョンを選ぶんだ! そして盛大に空振りするんだ!(違)
 そのプレイヤーの受身っぽさがどうにも目についてしまう。カッコ悪く見える。
 プレイヤーよ、自らの構想で宇宙をひっくり返せ!


 …駄目だ、駄目すぎるよ私。
 そんなことしたらセッションにならないじゃないですか。GMが困るばっかりですよ。


 でも。
 そういうセッションがやりたい。



 いつもいつも、そうでないといけない訳ではないのです。
 GMが主体のセッションでも、それはそれで悪くはない。
 でも、違うセッションがあった方が楽しい。
 つまり、TRPGのセッションはまだまだバリエーションに乏しいと感じているのですよ、私は。


 実は、過去そういうセッション例が無い訳ではありません。
 セブン=フォートレスのリプレイ「アルセイルの氷砦」でダンジョンを作ったPCがいました。
 私が知る限り、多分それが一番近い例ですね。
 でも、あなたのサークルで、皆が皆、プレイヤーをやっている時にダンジョン作りませんよね。
 特殊例で終っちゃ駄目なんですよ。
 「変わったこと」ではなく、「そういう方法もある」という、一つの確立した方法論にならないと。
 プレイヤーが主体となってシナリオを作れる構造。それと、そういうセッションを遊べるのだという共通認識。
 つまりはシステムの確立と周知が焦点なのです。


 で、具体的にはどうやったら良いのでしょう? 続く!(また嘘ばっかり)


 (色々と書いてきましたけど、ゴールデンウィークのセッションでこれができると言う訳では実はないのが残念なところ。次の次ぐらいにはできると良いな)


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 違いが分かり難いかも知れません。
 しかし、TRPG的にシナリオを作るのならば、通常はこうであるべきなのです。
 「アルベルト、今回は君の仇を討つ話だ。前のセッションから数ヶ月、君は町人として町に溶け込むことに成功している。その間、灰色公の屋敷に出入りする商人やメイドと親しくなったり、火事に便乗して火の見櫓に登ったりして、灰色公の屋敷の概要も掴んだ。今晩は昨晩に引き続き、しんしんと雪が降り積もる夜だ。積もった雪は足音を消してくれるだろう。襲撃には絶好のチャンスだ」
 こういう導入で、屋敷への討ち入りのシナリオを遊ぶ。
 このシナリオならば、TRPG的に難しいところがなく解決できます。多分。(まあ、少なくとも私は困らない)

 しかし、私が望んでいるのは「討ち入りをする」というその根本的方向性の部分から、プレイヤーの提案に拠るシナリオなのです。
 「襲撃をかけるシナリオだよ」とGMから言うのではなく。
 「襲撃をかけるシナリオをやらせてくれ」とプレイヤーから頼む。
 そして「俺はこういう順番でそれを解決したい」と青写真をプレイヤーが提示する。それを踏まえてGMはシナリオを作る。
 焦点は「言いだしっぺが誰なのか」ということ。それはつまり、「誰が主体なのか?」と言うことです。
 GMという他人の計画に乗るのではなく、プレイヤー自身が主体となって計画を立てる。
 シナリオを作るのはプレイヤーなのですよ。

 主体の違いを「無視しても構わない違い」と認識するのが、多くのテーブルトーカーです。…と勝手に思っています。(違いました?)
 けれども、私は気になるのです。「天と地ほど違うじゃないか」と思ってしまう。
 自分でも実はうんざりしているのですが、この「違うじゃないか」と思うのが、私の最大の欠点なのです。同時に私のシナリオのオリジナリティとアイデンティティの源泉でもあります。道理でみんなギルマンになってしまう訳です(関係ない)。

 歴史小説や軍記物を読んでいると(別に普通の小説でも良いのですけれども)、「主人公の意志」が輝く瞬間があります。
 遊郭通いの腑抜けた態で人の目を欺きつつ、最後には粛々と仇討ちを果たした大石内蔵助?
 足利の世が続くのだと皆が信じていた時代に、将軍を追放して自らの天下を作り上げた織田信長?
 越の国の再興を目指し権謀術数をめぐらし、伝説の美女・西施を育て上げて敵の王宮に送り込むまでした范蠡?
 自らの意志、自らの構想、自らの夢。そしてその実践。
 構想の大胆さ、計画の奥深さ、危険に飛び込む勇敢さ。それにとても惹かれてしまう私がいます。
 誰か他の人が決めたのではない。主人公が自ら考え、知恵は借りたにしろ、部下を統率し、最後に決断を下し。その一つ一つで放たれる意志の輝き。
 それがカッコよくてカッコよくて、だから歴史小説を読むのかも知れません。

 でもTRPGをしていると、どうも歴史小説で見るような「カッコよさ」になかなかめぐり合えません。
 どうしてもPCはGMに受身になってしまう。
 カッコよいセリフを吐くプレイヤーは結構いますが、でも根本的には受身じゃないですか?
 そもそもNPCから依頼されてシナリオを始めたらもう負けなんですよ! 自分で古地図見つけるんだ! 自らの意志で潜るダンジョンを選ぶんだ! そして盛大に空振りするんだ!(違)
 そのプレイヤーの受身っぽさがどうにも目についてしまう。カッコ悪く見える。
 プレイヤーよ、自らの構想で宇宙をひっくり返せ!


 …駄目だ、駄目すぎるよ私。
 そんなことしたらセッションにならないじゃないですか。GMが困るばっかりですよ。


 でも。
 そういうセッションがやりたい。



 いつもいつも、そうでないといけない訳ではないのです。
 GMが主体のセッションでも、それはそれで悪くはない。
 でも、違うセッションがあった方が楽しい。
 つまり、TRPGのセッションはまだまだバリエーションに乏しいと感じているのですよ、私は。


 実は、過去そういうセッション例が無い訳ではありません。
 セブン=フォートレスのリプレイ「アルセイルの氷砦」でダンジョンを作ったPCがいました。
 私が知る限り、多分それが一番近い例ですね。
 でも、あなたのサークルで、皆が皆、プレイヤーをやっている時にダンジョン作りませんよね。
 特殊例で終っちゃ駄目なんですよ。
 「変わったこと」ではなく、「そういう方法もある」という、一つの確立した方法論にならないと。
 プレイヤーが主体となってシナリオを作れる構造。それと、そういうセッションを遊べるのだという共通認識。
 つまりはシステムの確立と周知が焦点なのです。


 で、具体的にはどうやったら良いのでしょう? 続く!(また嘘ばっかり)


 (色々と書いてきましたけど、ゴールデンウィークのセッションでこれができると言う訳では実はないのが残念なところ。次の次ぐらいにはできると良いな)

【2009/04/29 02:13】 | トークRPG実験箱
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