ただ見上げるより この手を伸ばしてみたくなるだけ (ポコアポコ/カヒーナムジカ)
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 「卒業式の君が代斉唱への不起立を呼びかけた元教諭に罰金刑」だそうです。(06/05/30朝日新聞夕刊より)

 …いや、これは危ういよ危ういよ。
 確かに元教諭の行動には、行き過ぎたと見られるものがなかった訳ではないかも知れない。怒号を上げたと書いてあるし、式の開始が2分遅れたのも妨害ではあるかも知れない。
 私は法律に詳しくないから、この判決の妥当性そのものは良く分からないのは確か。
 しかし、判決そのものはいくらでも拡大解釈され得る。
 「校長に逆らったら威力業務妨害で罰金刑」という恐怖のイメージが蔓延しかねない。
 ただでさえ議論が不得手な日本人。「校長や教育委員会の発言に異を唱えることそのものが罰金刑になるから、やめた方が良い」という流れになりかねないのでは?
 
 
 教師が校長に異を唱えて対立する…ということに、かつての日教組などを重ね合わせて不快感を感じる人が多いのは知っています。
 しかし私の高校時代、生徒の自主性を認めようとしない校長と県教に対して、生徒を庇ってくれた先生がいてくれたのは事実。そういう先生が「色々な意見を持つ人がいて良いんだよ。大切なのは議論することだ」と教えてくれたのです。
 そのお陰で、様々なことを議論する癖、物事を多角的に見ようと言う心がけ、自立心、そして何より「挑戦することの愉しさ」を知ることができたのです。
 私が卒業したのが、教師が校長に従うだけの学校だったら、私はヴィジュアルリプレイも、携帯ネームジェネレーターも、足手まとい集も作ることはできなかったでしょう。そもそもコルセックだって存在しなかったでしょう。(深刻な話をすれば、中学時代、自殺したいと思い続けていた私が、生きていこうと思えるようになったのも、そういう学校にいて、「挑戦することは楽しい、人生とは楽しいものなのかも知れない」と思うことができたからです)
 「校長の言うことを聞かない先生のいる学校」そこから得たものは大きかった。

 …危うい。今回の判決は危うい。


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 教師が校長に異を唱えて対立する…ということに、かつての日教組などを重ね合わせて不快感を感じる人が多いのは知っています。
 しかし私の高校時代、生徒の自主性を認めようとしない校長と県教に対して、生徒を庇ってくれた先生がいてくれたのは事実。そういう先生が「色々な意見を持つ人がいて良いんだよ。大切なのは議論することだ」と教えてくれたのです。
 そのお陰で、様々なことを議論する癖、物事を多角的に見ようと言う心がけ、自立心、そして何より「挑戦することの愉しさ」を知ることができたのです。
 私が卒業したのが、教師が校長に従うだけの学校だったら、私はヴィジュアルリプレイも、携帯ネームジェネレーターも、足手まとい集も作ることはできなかったでしょう。そもそもコルセックだって存在しなかったでしょう。(深刻な話をすれば、中学時代、自殺したいと思い続けていた私が、生きていこうと思えるようになったのも、そういう学校にいて、「挑戦することは楽しい、人生とは楽しいものなのかも知れない」と思うことができたからです)
 「校長の言うことを聞かない先生のいる学校」そこから得たものは大きかった。

 …危うい。今回の判決は危うい。

【2006/05/30 20:42】 | 哀心よりお悔やみ申し上げます
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本当に危うい
カズヲ
危ういじゃ済まないね。東京都教育委員会の話だったっけ。そもそも教育委員会は発足当初は政府から独立して住民の意見をくみ上げる組織だったのに、50年代後半から文部省の一機関になってしまった。というのも教育委員長は住民の選挙から選出されていたのが、文部省の推薦で就任することになった。戦前の内務省と府県知事の関係みたいになった。
 しかし、内心の自由という論拠に対し、公務員の行政命令に逆らえないという論拠で応戦すること自体もおかしいと思う。公務員のストライキ権剥奪も、朝鮮戦争下のレッドパージで行われたわけだし。ちょっといかにも「日教組=左翼」的なコメントを書いたけど。
 なにより、「決められたことは有無を言わず守れ」という風潮そのものが危うい。「問答無用」の風潮であり、議論の存在そのものを抹殺する。疑問に思うことそのものを封殺する。

しかし、俺もあの高校に通って、「疑う」ことの大事さを学んだ気がする。あそこに通わなかったら、今頃は大学院なんかに入っていなかっただろう。


カズヲ
もうちょいつけ加えるなら。

教育とは自分で判断せずに決定に従うことではないはずだ。
主体的に判断し、行動する人格を育成する。俺は、これが民主的教育の核だと思っている。
今回の罰金刑は、主体的な判断をしてはならないという判決に他ならない。考えるな、と言っている。

ただ、歴史的に見て、「考えるな」といっても実際には考え、行動する人たちは必ずいる。むしろ一番難しいのは、「このように考えろ」と強制すること。「国を愛せよ」と強制したところで、うまくいかないと思うね。

もちろん、ゼロにはできないのだけれども…
丹川幸樹
 カズヲの言う「教育とは何か」ってのは、全くもって同感。
 でも、そう考えない人もかなり多いように感じる(苦笑)。もちろん「民主主義教育ってのはこういうものでしょ?」と聞けば否定されることは少ない。
 少ないのだけれども、「でも、愛国心は大事でしょ」とか「でも、子供が大人の言うことを聞かないのは問題でしょ」とか。
 でもで一つずつ、具体例で縛って制限がついて行く。
 それをトータルで演繹してい行くと、結局全部制限つけて、無条件に従う人を求めていることになってしまう。
 そういうのが良いと、無意識に思っている気がする(自分がそういう価値観の元で育ったから?)
 そういう人に、社会人になってから特に良く出会うようになった(苦笑)。 個々人は決して悪い人じゃないのに。
 それに「いや、ちょっとそれはどうかと思いますよ」と言うと、「左翼教育だな」とか「日教組の影響だな」とか言われてしまう。
 そういう断定的な言葉に反論することが最近難しくなってきていて。(議論のカンが相当鈍くなっているらしい。向こうが議論好きでもないと、遠慮もあるし・苦笑)
 でも昨日の新聞を読んで、「カンが鈍ったとか言っている場合ではない」と強く思ったのです。

 ところで奇しくも昨日、立花隆の東大と入試に関係する本を一部立ち読みしてね。こんなことが書いてあった。
 「アメリカは第二次世界大戦に日本が突き進んだ原因を、文部省による全国画一的な教育にあると分析した(日本ほどの画一的教育は珍しいと言う)。このため、戦後は文部省は解体状態にあったが、やがて復活、元に戻ってしまう」
 確かに壬生の言う通り、どんなに縛っても自分で判断し、行動する人はいる。愛国心を全員に浸透させることは不可能だろうと思う。
 ただ、全員である必要はない。社会の大多数が画一的な考え方に染まり、自主的な判断能力を損なった場合。
 決して私達や(仮に子供が生まれたとして)私達の子供は、無関係ではいられない。
 そう思うんだよ。


ちなみに
丹川幸樹
 ちなみにブログ本文で立花隆の話に触れなかったのは、一応今回の件が東京都の教育委員会がらみだから。文部科学省じゃない。
 それに東京都の教育委員会は、文部科学省に無理やり従わされている…というよりは、自分の意思(正確には都知事の意思)で喜んで従っている気がする。
 ので、似通った部分がありながら、どうも一緒くたにすると議論としてはおかしくなると気がついて、外したのです。


えっと……
水瀬瑞樹
 ちょっと論点がズレるので、mixiの方でコメントしました(^^;
 とりあえずご報告。



カズヲ
教育委員会と文科省はとてもなかよしのようだ。大学院で聞いた話によると、教育委員会の文書様式は完全に文科省に依っているらしい。その理由は、文科省がやっているから。考えないにも程がある。
立花の話は嘘くさいな。教育史をかじっている人間からすると(笑
戦前、文部省は画一教育だったとよく言われているが、そうでもない。明治後半から制度として整え始めた(国定教科書とか。あれは20世紀に入ってから)。それまで文部省の位置付けは低く、明治中頃には内務

考えてみればそうかも
丹川幸樹
 言われてみれば、確かに文科省が委員を選ぶならば、仲良しになるわなぁ(苦笑)。ただ東京都はどうしても都知事の顔がちらついてねぇ。都知事の思想も似たようなものじゃない? でも直接影響力は行使できないのかな。…できなかった気もする(新しい教科書の時)。

 画一的だったかどうかの話は、明治の話をいきなり持ってくると一般人には「?」って思われるって(笑)。
 国定教科書で教育を受けた人は、盧溝橋事件当時で30代ぐらいまでになるのかな。
 その上に画一的教育を受けていない世代がいるから、戦争に繋がる世論を作ったのは文部省だとは必ずしも言えないよ、とそういう意味だと了解して良いのかな。
 ただ、明治中期に併合されそうだった文部省を指して「その程度」と評するのは、カズヲの信条に反してやいないかな(苦笑)。
 「織田信長は元々は尾張の小領主に過ぎない、その程度の人物で、過大評価は禁物。歴史的に価値はない」とか言っているように聞こえてしまうよ(笑)。

 「左翼的」と断定する人に対してだけど…その反論したら議論終了、お互いに歩み寄りなし…って展開になりそうな気がする(苦笑)。
 少なくとも向こうには「ああ、あいつは左翼の影響を受けていると認めるんだな。じゃああいつの言葉は左の言葉だから、聴く価値はないな」と認識されかねない。
 皮肉的な表現はねぇ、使い方難しいよ(笑)。

 あと断定的な口調で物を語る人は、必ずしも教育を洗脳とまで認識している訳でもなさそう。
 私が会った人について見ると、特に何か強く考えている訳でもなかったり、見聞が広くないケースが多い気がする。
 ただ「左の人はこういう事を言う。そして左は怖い事件や社会混乱を起こしている」という漠然とした印象があって、それに当てはまる議論を聞いた時に「あ、それは左だね」と分類してしまうように思える。
 だから逆に厄介。
 そしてこういうタイプ、なかなか説得されてくれない。論理より印象が重要で、理性より感情に忠実なんだよね。


間違いコメントは
丹川幸樹
 間違いコメントは削除しておきました>カズヲ

 ちなみに水瀬氏のコメントだけど。
 実は、mixiにもこの記事は転記してあって(タイトルが「危うい…」に変わっていたり、少し加筆箇所があったりするけど)、それについています。
 今確認してきました(笑)。


あれ?
カズヲ
消した間違いコメントが違うんだけど(苦笑

文部省を「その程度」というのは、あまりに文部省の力を大きいものと見なす傾向が強いから。なので、織田信長の例は当たらないと思うんだけど。

断定口調の人は、確かにあまり考えずに物を言うことが多いね。そう考えると、「教育=洗脳」という構図は、あまり考えないが故に作られてしまう構図なのかもね。本人が既に洗脳されたあとだから(苦笑

ちなみに、断定口調のおじいちゃんと話す機会は多いのだけど、ある程度「なるほど」と引き取りながらも、「でも、この点はどうなんでしょうか」と問題を提示すると、話が広がることが多いね。注意すべきことは、お互い断定口調にならないことだと思う。

あれ?
丹川幸樹
 確認して消したはずなのに、どうしてこうなってるんだ?(苦笑)
 やれやれ。すまんことした。

>その程度
 いや、気持ちは分かるけど、それは議論の妥当性とは関係ないって。
 明治後期以降についても「その程度」の存在であったことを指摘しておかないと、「一部をもって全体がそうだと主張している」と誤解されかねない。
 最近は人の意見を批判的に読む人も増えたから、事実としては正しくても、損しかねないよ。

>断定口調
 たしかに、「なるほど」→「この点はどうなのでしょう」は良い方法だね。
 私の最近の問題点は、知っていることなのに、「この点はどうなのでしょう?」とタイミング良く引き出すことができなくなっていることだなぁ(苦笑)。


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コメント
この記事へのコメント
本当に危うい
危ういじゃ済まないね。東京都教育委員会の話だったっけ。そもそも教育委員会は発足当初は政府から独立して住民の意見をくみ上げる組織だったのに、50年代後半から文部省の一機関になってしまった。というのも教育委員長は住民の選挙から選出されていたのが、文部省の推薦で就任することになった。戦前の内務省と府県知事の関係みたいになった。
 しかし、内心の自由という論拠に対し、公務員の行政命令に逆らえないという論拠で応戦すること自体もおかしいと思う。公務員のストライキ権剥奪も、朝鮮戦争下のレッドパージで行われたわけだし。ちょっといかにも「日教組=左翼」的なコメントを書いたけど。
 なにより、「決められたことは有無を言わず守れ」という風潮そのものが危うい。「問答無用」の風潮であり、議論の存在そのものを抹殺する。疑問に思うことそのものを封殺する。

しかし、俺もあの高校に通って、「疑う」ことの大事さを学んだ気がする。あそこに通わなかったら、今頃は大学院なんかに入っていなかっただろう。
2006/05/31(Wed) 12:32 | URL  | カズヲ #-[ 編集]
もうちょいつけ加えるなら。

教育とは自分で判断せずに決定に従うことではないはずだ。
主体的に判断し、行動する人格を育成する。俺は、これが民主的教育の核だと思っている。
今回の罰金刑は、主体的な判断をしてはならないという判決に他ならない。考えるな、と言っている。

ただ、歴史的に見て、「考えるな」といっても実際には考え、行動する人たちは必ずいる。むしろ一番難しいのは、「このように考えろ」と強制すること。「国を愛せよ」と強制したところで、うまくいかないと思うね。
2006/05/31(Wed) 13:30 | URL  | カズヲ #-[ 編集]
もちろん、ゼロにはできないのだけれども…
 カズヲの言う「教育とは何か」ってのは、全くもって同感。
 でも、そう考えない人もかなり多いように感じる(苦笑)。もちろん「民主主義教育ってのはこういうものでしょ?」と聞けば否定されることは少ない。
 少ないのだけれども、「でも、愛国心は大事でしょ」とか「でも、子供が大人の言うことを聞かないのは問題でしょ」とか。
 でもで一つずつ、具体例で縛って制限がついて行く。
 それをトータルで演繹してい行くと、結局全部制限つけて、無条件に従う人を求めていることになってしまう。
 そういうのが良いと、無意識に思っている気がする(自分がそういう価値観の元で育ったから?)
 そういう人に、社会人になってから特に良く出会うようになった(苦笑)。 個々人は決して悪い人じゃないのに。
 それに「いや、ちょっとそれはどうかと思いますよ」と言うと、「左翼教育だな」とか「日教組の影響だな」とか言われてしまう。
 そういう断定的な言葉に反論することが最近難しくなってきていて。(議論のカンが相当鈍くなっているらしい。向こうが議論好きでもないと、遠慮もあるし・苦笑)
 でも昨日の新聞を読んで、「カンが鈍ったとか言っている場合ではない」と強く思ったのです。

 ところで奇しくも昨日、立花隆の東大と入試に関係する本を一部立ち読みしてね。こんなことが書いてあった。
 「アメリカは第二次世界大戦に日本が突き進んだ原因を、文部省による全国画一的な教育にあると分析した(日本ほどの画一的教育は珍しいと言う)。このため、戦後は文部省は解体状態にあったが、やがて復活、元に戻ってしまう」
 確かに壬生の言う通り、どんなに縛っても自分で判断し、行動する人はいる。愛国心を全員に浸透させることは不可能だろうと思う。
 ただ、全員である必要はない。社会の大多数が画一的な考え方に染まり、自主的な判断能力を損なった場合。
 決して私達や(仮に子供が生まれたとして)私達の子供は、無関係ではいられない。
 そう思うんだよ。
2006/05/31(Wed) 23:47 | URL  | 丹川幸樹 #kzqg5TK2[ 編集]
ちなみに
 ちなみにブログ本文で立花隆の話に触れなかったのは、一応今回の件が東京都の教育委員会がらみだから。文部科学省じゃない。
 それに東京都の教育委員会は、文部科学省に無理やり従わされている…というよりは、自分の意思(正確には都知事の意思)で喜んで従っている気がする。
 ので、似通った部分がありながら、どうも一緒くたにすると議論としてはおかしくなると気がついて、外したのです。
2006/05/31(Wed) 23:51 | URL  | 丹川幸樹 #-[ 編集]
えっと……
 ちょっと論点がズレるので、mixiの方でコメントしました(^^;
 とりあえずご報告。
2006/06/01(Thu) 01:21 | URL  | 水瀬瑞樹 #mooPkzBU[ 編集]
教育委員会と文科省はとてもなかよしのようだ。大学院で聞いた話によると、教育委員会の文書様式は完全に文科省に依っているらしい。その理由は、文科省がやっているから。考えないにも程がある。
立花の話は嘘くさいな。教育史をかじっている人間からすると(笑
戦前、文部省は画一教育だったとよく言われているが、そうでもない。明治後半から制度として整え始めた(国定教科書とか。あれは20世紀に入ってから)。それまで文部省の位置付けは低く、明治中頃には内務
2006/06/01(Thu) 12:18 | URL  | カズヲ #-[ 編集]
考えてみればそうかも
 言われてみれば、確かに文科省が委員を選ぶならば、仲良しになるわなぁ(苦笑)。ただ東京都はどうしても都知事の顔がちらついてねぇ。都知事の思想も似たようなものじゃない? でも直接影響力は行使できないのかな。…できなかった気もする(新しい教科書の時)。

 画一的だったかどうかの話は、明治の話をいきなり持ってくると一般人には「?」って思われるって(笑)。
 国定教科書で教育を受けた人は、盧溝橋事件当時で30代ぐらいまでになるのかな。
 その上に画一的教育を受けていない世代がいるから、戦争に繋がる世論を作ったのは文部省だとは必ずしも言えないよ、とそういう意味だと了解して良いのかな。
 ただ、明治中期に併合されそうだった文部省を指して「その程度」と評するのは、カズヲの信条に反してやいないかな(苦笑)。
 「織田信長は元々は尾張の小領主に過ぎない、その程度の人物で、過大評価は禁物。歴史的に価値はない」とか言っているように聞こえてしまうよ(笑)。

 「左翼的」と断定する人に対してだけど…その反論したら議論終了、お互いに歩み寄りなし…って展開になりそうな気がする(苦笑)。
 少なくとも向こうには「ああ、あいつは左翼の影響を受けていると認めるんだな。じゃああいつの言葉は左の言葉だから、聴く価値はないな」と認識されかねない。
 皮肉的な表現はねぇ、使い方難しいよ(笑)。

 あと断定的な口調で物を語る人は、必ずしも教育を洗脳とまで認識している訳でもなさそう。
 私が会った人について見ると、特に何か強く考えている訳でもなかったり、見聞が広くないケースが多い気がする。
 ただ「左の人はこういう事を言う。そして左は怖い事件や社会混乱を起こしている」という漠然とした印象があって、それに当てはまる議論を聞いた時に「あ、それは左だね」と分類してしまうように思える。
 だから逆に厄介。
 そしてこういうタイプ、なかなか説得されてくれない。論理より印象が重要で、理性より感情に忠実なんだよね。
2006/06/01(Thu) 20:56 | URL  | 丹川幸樹 #kzqg5TK2[ 編集]
間違いコメントは
 間違いコメントは削除しておきました>カズヲ

 ちなみに水瀬氏のコメントだけど。
 実は、mixiにもこの記事は転記してあって(タイトルが「危うい…」に変わっていたり、少し加筆箇所があったりするけど)、それについています。
 今確認してきました(笑)。
2006/06/01(Thu) 21:01 | URL  | 丹川幸樹 #kzqg5TK2[ 編集]
あれ?
消した間違いコメントが違うんだけど(苦笑

文部省を「その程度」というのは、あまりに文部省の力を大きいものと見なす傾向が強いから。なので、織田信長の例は当たらないと思うんだけど。

断定口調の人は、確かにあまり考えずに物を言うことが多いね。そう考えると、「教育=洗脳」という構図は、あまり考えないが故に作られてしまう構図なのかもね。本人が既に洗脳されたあとだから(苦笑

ちなみに、断定口調のおじいちゃんと話す機会は多いのだけど、ある程度「なるほど」と引き取りながらも、「でも、この点はどうなんでしょうか」と問題を提示すると、話が広がることが多いね。注意すべきことは、お互い断定口調にならないことだと思う。
2006/06/02(Fri) 18:46 | URL  | カズヲ #-[ 編集]
あれ?
 確認して消したはずなのに、どうしてこうなってるんだ?(苦笑)
 やれやれ。すまんことした。

>その程度
 いや、気持ちは分かるけど、それは議論の妥当性とは関係ないって。
 明治後期以降についても「その程度」の存在であったことを指摘しておかないと、「一部をもって全体がそうだと主張している」と誤解されかねない。
 最近は人の意見を批判的に読む人も増えたから、事実としては正しくても、損しかねないよ。

>断定口調
 たしかに、「なるほど」→「この点はどうなのでしょう」は良い方法だね。
 私の最近の問題点は、知っていることなのに、「この点はどうなのでしょう?」とタイミング良く引き出すことができなくなっていることだなぁ(苦笑)。
2006/06/02(Fri) 21:14 | URL  | 丹川幸樹 #kzqg5TK2[ 編集]
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